「ねぇ、マスター。」3D版動画作成日誌 A01残り、B01、C01編

さて、前回はA01の中でも冒頭部分、歌詞で言うと「覚えてる?」から「二人だけの歌」までのカットを作成しました。今日は、残りのA01とB01、C01を見ていきたいと思います。

取り組むべき課題

基本的に、A01からC01まではミクと背景1枚という、とてもシンプルなつくりをしています。しかも、動くものは(前回のカメラを除いて)ないわけですから、ここは仕掛け作りにリソースを食わない分、提示したいことやそれを実現する方法を、しっかりつめていきたいと思います。


まず、動画作りの前に音楽を概観すると、シンプルな導入から曲の終盤にかけてどんどん深くしていく・・という基本形ですが、最初を極力軽量にし、最後はかなり重めのウェイトにしているので、感覚的に傾斜が急なつくりになっています。今回の3D化では、この流れを立体視によって補完することも重要なテーマです(以前の日記d:id:OIE:20110601参照)。

重量感に係わる2つのアプローチ

それでは、前半部で実現すべき「軽さ」の感覚を、立体視においてどう実現するか?考えてみたのは2つのアプローチです。
まず1つめは、対象物を手前に置くこと。以前の日記(d:id:OIE:20110601)で少し触れたとおり、今まで見てきた感覚だと、立体視したときの起伏が地形の高低を連想させるのか、手前に出てきたものは文字通り「宙に浮き」、逆に引っ込んだものは「地を這う」ような認識とうまくマッチするように思えます。これをA01の役割に当てはめれば、導入としてはなるべく手前に目がいくようにし、徐々に(D01以降でも、またA01からC01の中でも)画面奥を意識させるような世界の姿が見えてきます。
2つめのアプローチは、対象物が分布する範囲を深さ的に狭くすること。1つめがここの対象物の高さを誘導するのに対し、こちらのアプローチは対象物同士の関係性を指し示しています。例えば2つの対象物が、深さとしてとても離れた距離に見えていた場合、観察者はこれらとともに、その間に存在する空間を把握することが出来ます。これはあたかも、キャスターの車輪が離れてついていたほうが安定するように、その世界の不確実性を減少させるような心理を感じさせます。一方、極度に接近した2つの対象物が、しかもそれだけしか見えない世界だとどうか?大部分の深さ、空間の情報が規定されず、落ち着かない印象が強くなると思います。これも高さの感覚と直結する話で、どっしりと安定した低い場所に対して、不安定さは高所をイメージさせる効果があると考えられます。


ということで、仮説レベルではありますが、以上の2つのアプローチを鑑みて、A01からC01を設計すると。まず前回作った最初のカット(ピンクの背景)では、ミクと背景を、ディスプレイとほぼ同じ高さで提示します。この時点では手前にも奥にも、空間を把握する手がかりはありません。次のカット(オレンジの背景)に移ると、世界が広がるかのように背景を後ろに移動します(実際にはディゾルブによるカットの遷移)。次のB01も、その次のC01も、徐々に徐々に広げることにしました。

さらに、このアプローチとは別に、B01のカット(海底に光の模様が映る背景)については、元となる画像が海底を斜めから撮影したものだったため、立体視でもそれらしく見えるよう、背景を斜めに(上に行くほど奥に)傾けることにしました。
当然、もとは直立した看板を斜め下から見るような形になるわけなので、このままでは画像は台形の形に歪んでしまいます。今回は、この傾いた画像をエフェクト->ディストーション->コーナーピンエフェクトで無理やり画面にうまく収まるように引き伸ばしました。もともとまっすぐだった画像が奥行きにより先細りになり、さらにそれをエフェクトで引き伸ばしているような状況なので、解像度としてはかなり情報が損なわれているはずですが、もともと画像上部はピントからずれているので、実質的な問題は発生しません。(逆に言うと、このように傾斜がかかった画像を立体化しようとすると、角度や見せ方によってはうまく適用できないケースが発生しうることになります。)


もう一点、A01の2つ目のカット(オレンジの背景)についても手を加える案があるのですが、これは余力があったら実践してみることに。次はD01、E01を飛ばして、先にC02に取り組みたいと思います。


余談(とはいえ重要かもしれない話)ですが、上記の「軽さ」を表現する2つのアプローチ、実は音楽についても当てはまります。・・というか多分、自分が動画でこうしようと思ったきっかけが、音楽経由ですね。やっぱり、音の低いベースがない状態というのは落ち着かなくなるし、狭い音域で曲が続くとその他の音域を無意識に期待してしまうものです。このあたりの、「実際の高低」「音の高低」「立体視の高低」というのは、どれが原因でどれが結果かよくわからないにも関わらず、どうも強い因果関係があるような気がしてなりません。・・認知科学的な方面から研究すれば、理由や仕組みが分かりそう?