大晦日の冬コミと紅白に思ったこと

明けまして、おめでとうございます。
昨日のエントリでも予告させていただいた通り、去年のちょっとした振り返り・・というか、年末・年始にかけて考えたこととか。

ほんとは自分、大きな予定は4月始まりのローテーションで立てているので、この12月・1月は年の節目としてはあまり意識していないのですが(笑)、そうだとしても4月から75%ですからね。残りの4分の1に向けて少し考え直すタイミングにはいい気がします。


きっかけは、去年12月31日、大晦日でした。一般参加した冬コミ、そしてNHK紅白歌合戦。どちらも、単に「とある一日のイベント」とは看過できない、印象的な出来事となりました。


まず冬コミコミックマーケット79)。毎回のように参加しているコミケですが、今回ほど初音ミク(とその他ボーカロイド、ひっくるめて『ボカロ』)の存在感が際だった回もなかったと思います。去年一年間、自分も集中的に取り組んだことを置いておいても、ボカロだけで多くの島を占めていたサークル配置やコスプレの方々の数に、同じ思いをされた方も多いんじゃないでしょうか?
拡大を続けられる背景には、制作を通じたPの方々の尽力や、クリプトンさん・ヤマハさんをはじめとしたメーカーの場と仕掛け作り、そしてそれらを受け止めるリスナーの方々・・様々な要素があり、奇跡的に現在もなお、ひとつの輪として生きもののように機能し続けているのだと思います。
ただ、その現状を見て逆に考えたのは、「そろそろ自分のなかの初音ミク像をいったん、自分のなかでまとめたほうがいいかな」というものでした。まとめる・・というか、一度固着する、というかね。液体じゃなくて、ゼリー程度に(笑)。一応、現在までに作ったミク曲では、それなりにはっきりした人物像(キャラクタ)を頭の中に描いたうえでの歌詞や歌い方を意識しているのですが、それとは別に。もっと深く、作る者と初音ミクの関係性を、自分の言葉で描きなおす・・ということを、できれば3月末までにやりたいな、と思っています。そうすれば、4月からまた少し新鮮な気持ちで曲が作れますしね。
大切なのは、すでに「初音ミクの消失」は、個人のPCからのアンインストールという枠から、(とうの昔に)外れてしまった・・ということです。それを今回、まざまざと実感させられました。拡大ではない、自己の再定義は、パブリッシャーを持ってしては出来ず、作り手自身に委ねられた命題なのではないでしょうか。


もうひとつ考えさせられたのは、NHK紅白歌合戦です。実はその前の年にもブログで触れようとしてまとめきれないままだったのですが、そのときの回(一昨年)から、ステージ中央で動画が再生されるようになりましたよね。比較的大きなLEDをズラリと並べることでディスプレイの代わりを作っていたそうで、中央の大きなメインディスプレイに加え、下段には左右に分かれて移動可能な2つのディスプレイが設置されていました。それが今回さらに拡張され、メインディスプレイの周りの領域一面、さらに手前に立っている2つの柱にまで映像が表示されていました。一体どういう仕組みで投影?・制御していたのかも気になりますが、それよりも前に立ち返るべきは、「演出の中に動画が完全に組み込まれた」という点だと思います。
もちろん、シャンデリアや建造物風の静止画を表示してセットの代わりとする場面もあり、例え動画でも、曲調や人数などに応じて明度や動き、抽象度は様々に調整されていました。しかし、時間軸上でリズムを刻む音楽の特性上、基本的に動画を加えることでの表現力向上は、単に「画面上の一定面積を絵が動く」以上のものであることは容易に想像できるし、事実それを紅白が体現しはじめたということに、表面以上のインパクトを感じました。


世界は、もう、動画なしの世界に戻れない。


動画共有サイトの浸透、機材・ソフトなどの環境面の充実、CGMの勃興。一見無関係のようでも、何かを表そうとする表現手法のひとつとして、当たり前のように、今以上に動画が入ってくる世界に向かっている・・そんな予想を裏付ける手がかりが、あちらこちらからそろってきているようです。
そんなわけで、去年頃から本格的に始めた動画への取り組みを、今後も継続しておこう、と思いを新たにしたのでした。


・・ふぅ。やっぱり長くなってしまいました(笑)。ゆっくり考えるにはお正月はいい機会ですね。うまく今後の活動につなげられればと思います。


でもまぁ、去年の紅白は、マスゲーム的というかえらい人数が出るステージが多かったですよね(笑)。大勢が出るステージ数と、その規模と、どちらも飛び抜けていた気がします。多人数の出演といい紙吹雪といい中継といい上述のディスプレイといい・・やはり紅白歌合戦は底知れぬものを感じます。それを用意するだけでなく、きちんと考え活用し抜くという点でも。