ハンターという名のジャーナリスト

無事、タイムスクープハンターの再放送が終了しました。あとは、公式ページのとおり、タイムスクープハンターが江戸時代から無事に帰ってくることを待つのみです(笑)。
6月6日の、第1回から第4回までの再放送の際には、脚本・演出を担当された中尾浩之氏が登場されていました。これまでにない番組として、今までの、偉人や有名人を主に扱うものではなく、その時代を生きた名もない庶民やその生活を描いた番組を作りたい・・という目的や、ドキュメンタリータッチ的な手法についてなど、以前の日記(d:id:OIE:20090519)で想像で書いていた部分が間違っていないことが分かり嬉しかったです。(むしろ、当初の目的や意図がぶれることなく視聴者に伝わったという点にも、この番組のよさが表れていると思います。)
最初の視聴時には気付かなかった、中尾氏の視点としては、ビデオジャーナリストとその映像を意識したというお話でした。ビデオジャーナリスト・・すぐに想起されるのは2003年前後のイラク戦争ですね。このときには、各国のテレビ放送局などの報道メディアとは別に、戦場のすぐそばまで市民の視点で飛び込み、現地の動画をネット等を経由し次々と発信する人々の姿が話題となりました。既存の報道メディア関係者の方の視点に立つと、インパクトはなおさらなのかも・・と勝手に考えてしまいます。
また、このとき印象的だったのは、NHK(と他の民放もですが)の現地取材でも、まるでウェブカメラで撮ったような低い解像度とフレームレートの映像が、テレビ番組内のリポートとして当たり前のように放送されていたことです。タイムスクープハンターを見たときに、私の意識では「ドキュメンタリー」という視座からこの番組の特徴を「今までの歴史番組とは違う」という形で切り出しました。しかし、もし・・イラク戦争の、あのノイズにまみれた荒い動画のプレゼンスを評価しなおすのであれば。タイムスクープハンターの映像手法は、ドキュメンタリーとしての価値観と並行して、「既存の放送メディアや国家、団体の思惑とは独立して存在する『現場』を伝える新しいメディア」としての特徴、力強さが新たに切り出され、番組に付加されるのではないでしょうか。要潤氏が演じる「沢嶋雄一」なるキャラクターも、タイムスクープ社に属する会社人としての存在の一方で、「ハンター」として(貪欲に)現地を駆け回る「個人ジャーナリスト」としての存在(ひいてはその目に広がるその時代の日常世界)を意識させるため、敢えて個性的に前面に出して描かれているのかもしれません。
・・ジャーナリズムの「じゃ」の字も知らない人間が勝手書いてますが(笑)、これは今後の映像手法とその意味を考えるうえでも、かなり興味を引かれる視点ですね。

あと中尾さんのお話で面白かったのは、リアルさ追求のため、役者の方々はヅラをかぶらず本当に髪をそっていたことです(笑)。これは気付かなかった!改めて見直すと、生え際の髪の毛のボリュームやほつれ具合がいい味出してます。